この年末に、大掃除もそっちのけで断捨離に没頭する日々。
ゴミの日のたびに、2〜3袋のゴミ袋を出し
週単位で、これくらいのものをリサイクルショップへ持って行き
もう、わたしのウチにはなんにもなくなったのでは・・・と思うのですが、
見た目に、たいした変化はありません。
もちろん捨てを実行している私には、違いがわかります。
でも、どこかが『ガラーン』となったわけでも
『え?お引越し?』って思うほどものが片付いたということもありません。
いつも通りの我が家です。
なんでしょうね。
すっきりしているように見えた我が家に、どれだけものが潜んでいたのかってことですね。
ゴミの日のたびに、2〜3袋のゴミ袋を出し
週単位で、これくらいのものをリサイクルショップへ持って行き
もう、わたしのウチにはなんにもなくなったのでは・・・と思うのですが、
見た目に、たいした変化はありません。
もちろん捨てを実行している私には、違いがわかります。
でも、どこかが『ガラーン』となったわけでも
『え?お引越し?』って思うほどものが片付いたということもありません。
いつも通りの我が家です。
なんでしょうね。
すっきりしているように見えた我が家に、どれだけものが潜んでいたのかってことですね。
『これを捨てました!』みたいに嬉々とご報告できるようなものはないのですが、名もなきようなたくさんのものたちが、ここ1ヶ月ほどの間に我が家を巣立って行きました。
毎日何かしら捨てているのに、まだまだ十分なものに満ちて溢れている我が住まい。
嗚呼、わたしのウチにはなんでもあるじゃないの・・・
嗚呼、わたしのウチにはなんでもあるじゃないの・・・
そして、ようやく気づいたことがあります。
・私が今まで捨てられずに持っていたもの
・今回捨てを決断できたもの
そこには、大きな共通点があったのです。
それは『もしかしていざというときに使うかもしれない』という呪縛?お守り?的なもの。
・私が今まで捨てられずに持っていたもの
・今回捨てを決断できたもの
そこには、大きな共通点があったのです。
それは『もしかしていざというときに使うかもしれない』という呪縛?お守り?的なもの。
元来心配性な性格の私。
夫のことが心配。息子のことも心配。笑
出かける時は、何かあったときのためにあれもこれも持っておこう。
と、ついつい荷物が増えてしまいます。
と、ついつい荷物が増えてしまいます。
いったい私の身にどれだけの確率で、どんなことが起きるっていうのでしょうね…
そして、はたと気づいたのです。
存在すら忘れてしまっているようなものを、いざというときにすぐ取り出すことができるのだろうか。
大量に保管してあったプラスティックの使い捨てコップや、綺麗だからととっておいた空箱、特別な時に着るための洋服やアクセサリー。
もう何年もの間、いつか来るかもしれないそのときのために、ひっそりと息をひそめて待ち続けていたのです。
なんて酷なことを・・・
さらには、それらの待機スペースも確保しつつ、たくさんの収納ケースも必要でした。
その上、見た目のすっきりさにこだわりだした日には、収納ケースにもお金がかかりました。
長い間、お守りのように大切に持ち続けていたものは一体何だったのか。
私を支配していた呪縛から解き放たれるように、今それらを手放している日々です。
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もう何年もの間、いつか来るかもしれないそのときのために、ひっそりと息をひそめて待ち続けていたのです。
なんて酷なことを・・・
さらには、それらの待機スペースも確保しつつ、たくさんの収納ケースも必要でした。
その上、見た目のすっきりさにこだわりだした日には、収納ケースにもお金がかかりました。
長い間、お守りのように大切に持ち続けていたものは一体何だったのか。
私を支配していた呪縛から解き放たれるように、今それらを手放している日々です。
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